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Tony Conrad トニー・コンラッド
トニー・コンラッド
フィルムメーカー、メディア・アーティスト、ミュージシャン。
1940年、ニューハンプシャー州コンコード生まれ。
60年代初頭に地元の音楽大学やめ、NYに移り住む。
ラ・モンテ・ヤングのグループに参加、ミニマル・ミュージックの先駆的活動を始める。
現在、ニューヨーク州立大学バッファロー校メディアスタディ学部(SUNY Buffalo)で教授する。
日本国内では主に「フリッカー」の作者として60-70年代の
実験映画−構造映画−を代表する作家として有名。
一方で60年代にはラ・モンテ・ヤングやその時知り合ったジョン・ケール
(John Cale, ex "Velvet Underground")らとセッション・バンドを組んだり、
ドイツのバンド、ファウスト(Faust)とコラボレイトするなど、
前衛音楽のミュージシャンとしての顔が良く知られている。
彼の主に音楽活動についてのインタビューが参考になる。
(余談だが、彼に聞く所によると、ジョン・ケールとは"Velvets"参加を機に
セッションは解散したとのこと。
彼自身は"Velvets"に興味がなかったらしい。
また、"Faust"との経緯については、すでに過去の事としてさほど答えてくれなかった。)
ところで、後にコンラッド自身から聞いた事(98年6月来日時)によると、
60年代当時、基本的には映画制作にそれほど興味があるわけではなく、
音楽を専攻していたことから、当初は友人の映画音楽を提供して行く中で、
彼自身あるアイデアが浮かび、それを実現するのに当時は16mmフィルム位しかメディアが無く、
そこでフィルムでこの「フリッカー」を制作したとの事。
この作品が思いの外、話題になってコンラッド当人も当時は非常に困惑したようだった。
しかしながら、それがきっかけとなって、フィルムメイキングを続けることになる。
しかし、その後のコンラッドの仕事を見てみると、
フィルムを使ったパフォーマンス−"Deep Friend 7360"(1973)、"Curried 7302"(1973)−
が多く、そこだけを見ると彼をフィルムメーカーと捉えがちになってしまうが、
実質的にはケージ以降の現代音楽の系譜である「インストラクション(instruction)」を
フィルムを素材に実践したと考えるべきであろう。
そう言う意味で彼は現代音楽のメソッドをフィルム−後にビデオ−で
展開した作家と捉えるべきのように思う。
こう考えてみると、"The Flicker"と同様に明滅によってできた作品(Arnulf Rainer)を
制作したクーベルカの態度とはまったく異なる事が了解できる。
クーベルカはあくまでも「映画」を作ったのであり、
コンラッドはフィルムを利用した「メディテーション」体験装置を作ったのである。
フィルムメーカー、メディア・アーティスト、ミュージシャン。
1940年、ニューハンプシャー州コンコード生まれ。
60年代初頭に地元の音楽大学やめ、NYに移り住む。
ラ・モンテ・ヤングのグループに参加、ミニマル・ミュージックの先駆的活動を始める。
現在、ニューヨーク州立大学バッファロー校メディアスタディ学部(SUNY Buffalo)で教授する。
日本国内では主に「フリッカー」の作者として60-70年代の
実験映画−構造映画−を代表する作家として有名。
一方で60年代にはラ・モンテ・ヤングやその時知り合ったジョン・ケール
(John Cale, ex "Velvet Underground")らとセッション・バンドを組んだり、
ドイツのバンド、ファウスト(Faust)とコラボレイトするなど、
前衛音楽のミュージシャンとしての顔が良く知られている。
彼の主に音楽活動についてのインタビューが参考になる。
(余談だが、彼に聞く所によると、ジョン・ケールとは"Velvets"参加を機に
セッションは解散したとのこと。
彼自身は"Velvets"に興味がなかったらしい。
また、"Faust"との経緯については、すでに過去の事としてさほど答えてくれなかった。)
ところで、後にコンラッド自身から聞いた事(98年6月来日時)によると、
60年代当時、基本的には映画制作にそれほど興味があるわけではなく、
音楽を専攻していたことから、当初は友人の映画音楽を提供して行く中で、
彼自身あるアイデアが浮かび、それを実現するのに当時は16mmフィルム位しかメディアが無く、
そこでフィルムでこの「フリッカー」を制作したとの事。
この作品が思いの外、話題になってコンラッド当人も当時は非常に困惑したようだった。
しかしながら、それがきっかけとなって、フィルムメイキングを続けることになる。
しかし、その後のコンラッドの仕事を見てみると、
フィルムを使ったパフォーマンス−"Deep Friend 7360"(1973)、"Curried 7302"(1973)−
が多く、そこだけを見ると彼をフィルムメーカーと捉えがちになってしまうが、
実質的にはケージ以降の現代音楽の系譜である「インストラクション(instruction)」を
フィルムを素材に実践したと考えるべきであろう。
そう言う意味で彼は現代音楽のメソッドをフィルム−後にビデオ−で
展開した作家と捉えるべきのように思う。
こう考えてみると、"The Flicker"と同様に明滅によってできた作品(Arnulf Rainer)を
制作したクーベルカの態度とはまったく異なる事が了解できる。
クーベルカはあくまでも「映画」を作ったのであり、
コンラッドはフィルムを利用した「メディテーション」体験装置を作ったのである。
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Terry Riley テリー・ライリー
テリー・ライリー (Terry Riley、1935年6月24日 -)
アメリカ合衆国出身の作曲家である。ミニマル音楽家の一人。
◯生涯
アメリカ合衆国カリフォルニア州コルファックス生まれ。
Shasta College、サンフランシスコ州立大学、サンフランシスコ音楽学校で学んだ。
その後UCBに入学、Seymour Shifrinと共に作曲法を学び修士の学位を得た。
しかし、彼に最も大きな影響を与えた教師は故Pandit Pran Nathであった。
Pandit Pran Nathはインド古典声楽の名人である。
また、ラ・モンテ・ヤングやMarizn Zazeelaも彼の学生であった。
ライリーはPanditの課程の間に何度もインドを訪問した。
そこで、師が演奏する際、タブラ、タンブーラ、及び声による伴奏に携わった。
1960年代を通じて、彼はヨーロッパにも度々旅行した。
そこではピアノバーで日々の糧を得ながら、音楽的影響も受けた。
1971年からはMills Collegeにてインド古典音楽の教鞭をとることとなった。
1960年代にはまた、有名な「徹夜コンサート」 All-Night Concert を行った。
そこで、「バラストの中に真空掃除機のモータで風を送り込むような」
リードオルガンとテープレコーダによる遅延装置付きのサクソフォーンを用い、
日の入りから日の出まで即興演奏を披露した。
何時間も演奏し続けた彼がついに休憩を必要とした際、夜中じゅう回しっぱなしにしていた
テープレコーダのテープをループさせ、サクソホン演奏の断片を繰り返し再生した。
この種のコンサートは何年も続き観客は寝袋、ハンモック持参で家族全員を連れてくるようになった。
ライリーは長年にわたりクロノス・クァルテット(クロノスSQ)との関係を保ったが、
その始まりはMiles Collegeで創始者のDavid Harringtonと会った時であり、
それ以来13の弦楽四重奏曲及びSQを伴った数曲をクロノスSQのために作曲した。
最初の管弦楽曲 Jade Palace を作曲したのは1991年のことであり、その後同方面の作品が続いた。
現在ではインドの rage 歌唱及びピアノ独奏でも実演と教育を行っている。
◯音楽の書法と技法
ライリー初期の試みにはカールハインツ・シュトックハウゼンの影響がある。
しかし、ラ・モンテ・ヤングと会って以降、音楽の方向性を変えた。
1955年から1956年にかけて、ライリーはヤングの Theater of Eternal Music に加わった。
ライリーはヤングを「これまで会った中で最もフリークな奴」といっている。
ヤングの発想こそが、ミニマリズムの心臓部であると言うのだ。
だが、ミニマリズムにおけるライリーの影響力を挙げる音楽家も多い。
この新しいスタイルを初めて用いたのは1960年の弦楽四重奏曲においてであった。
そのすぐ後に作曲された弦楽三重奏曲では短いフレーズを繰り返す技法を初めて彼は会得した。
それがミニマリズムのスタイルとなったのである。
通常、彼の音楽は長さの異なるモードのセリーを用いた即興演奏に基づいている。
Iそれは、n C、Keyboard Studies で見られる。
In C (1964) は最も知られた曲で、ミニマル音楽を一気に有名にした。
最初の演奏者としてはとりわけスティーヴ・ライヒ、ジョン・ギブソン、Pauline Oliveros、
Morton Subotnickが挙げられる。
他にも演奏家に(ex.ジョン・クーリッジ・アダムズ、フィリップ・グラス)影響を与え続けている。
それはまさに発明というべきであった。
曲は53個の独立したモジュールからなり、それぞれのモジュールはほぼ1拍の長さで、
おのおのが異なった音楽のパターンを有している(だがタイトル通り全てハ長調 in C である)。
演奏者の一人はピアノから一定したハ音の連続を繰り出し、テンポを維持する。
他の演奏者の人数と用いる楽器は任意で、いくつかのゆるやかなガイドラインに従って、
それらのモジュールを演奏する。
その結果、時とともに異なったモジュールが様々に連動しあって行くのである。
Keyboard Studiesも同様の構造を持つ独奏曲である。
極小の音楽要素を集めて複雑で稠密な全体像を造り上げるこの様式は、
凝り固まりつつあった西洋クラシック音楽のアカデミズムから離れる運動をもたらした。
20世紀半ばの音楽界は、新ウィーン楽派の複雑な構築と新古典楽派によって埋め尽くされていた。
ミニマリズム運動はこのような形式主義を放棄した。
ライリーは更に一歩を進め、しばしば即興的要素を作曲に取り入れることで
緊密な構成を否定するようになった(独奏者としては即興演奏の経験は長かった)。
1968年の A Rainbow in Curved Air がこの種の技法を用いた最初期のものである。
この作品及び対になる Poppy Nogood and the Phantom Band (1969年に録音された)は
ライリーの徹夜コンサートの印象を伝えるものである(そこまで長くはできなかったが)。
インド音楽と独奏に集中するため一旦は作品の記録を止めてしまったライリーであったが、
クロノスSQとの仕事が彼を再び更に構成的な、記譜可能な音楽に向かわせた。
しかし即興的要素はクロノスSQのための作品でも重要な役割を果たしている。
常に音楽の最先端に居続けたライリーにとって、新しい物などなにもなかった。
1950年代には当時揺籃期にあったテープループ技法を用い、
それ以降もテープを用いた音楽効果を研究し続けた。スタジオでもライブでも。
微分音を用い、純正律の音楽も作曲した。
Rovaサクソホーン四重奏団、Pouline Oliveros、クロノスSQだけではなく、
Michael McClureとのコラボレーションも行った。
Michael McClureは脚本家で、作曲のライリーと共にアルバムを制作した。
A Rainbow In Curved Air はロックバンド・ザ・フーのギタリスト・ピート・タウンゼントの
シンセサイザーパートに霊感を与え、 "Won't Get Fooled Again" と "Baba O'Riley" を生んだ。
後者はライリーと共に、Mehar Babaに捧げられている。
◯代表作
* A Rainbow in Curved Air
* The Harp of New Albion (1986), 純正律ピアノのための
* In C
* Shri Camel (1980)
コンピュータ制御のデジタルディレイで変調された純正律電子オルガン独奏のための
* Salome Dances for Peace
* Chanting the Light of Foresight, 純正律に合わせたRovaサクソホーン四重奏団による
* Persian Surgery Dervishes
* Sun Rings クロノスSQのための
アメリカ合衆国出身の作曲家である。ミニマル音楽家の一人。
◯生涯
アメリカ合衆国カリフォルニア州コルファックス生まれ。
Shasta College、サンフランシスコ州立大学、サンフランシスコ音楽学校で学んだ。
その後UCBに入学、Seymour Shifrinと共に作曲法を学び修士の学位を得た。
しかし、彼に最も大きな影響を与えた教師は故Pandit Pran Nathであった。
Pandit Pran Nathはインド古典声楽の名人である。
また、ラ・モンテ・ヤングやMarizn Zazeelaも彼の学生であった。
ライリーはPanditの課程の間に何度もインドを訪問した。
そこで、師が演奏する際、タブラ、タンブーラ、及び声による伴奏に携わった。
1960年代を通じて、彼はヨーロッパにも度々旅行した。
そこではピアノバーで日々の糧を得ながら、音楽的影響も受けた。
1971年からはMills Collegeにてインド古典音楽の教鞭をとることとなった。
1960年代にはまた、有名な「徹夜コンサート」 All-Night Concert を行った。
そこで、「バラストの中に真空掃除機のモータで風を送り込むような」
リードオルガンとテープレコーダによる遅延装置付きのサクソフォーンを用い、
日の入りから日の出まで即興演奏を披露した。
何時間も演奏し続けた彼がついに休憩を必要とした際、夜中じゅう回しっぱなしにしていた
テープレコーダのテープをループさせ、サクソホン演奏の断片を繰り返し再生した。
この種のコンサートは何年も続き観客は寝袋、ハンモック持参で家族全員を連れてくるようになった。
ライリーは長年にわたりクロノス・クァルテット(クロノスSQ)との関係を保ったが、
その始まりはMiles Collegeで創始者のDavid Harringtonと会った時であり、
それ以来13の弦楽四重奏曲及びSQを伴った数曲をクロノスSQのために作曲した。
最初の管弦楽曲 Jade Palace を作曲したのは1991年のことであり、その後同方面の作品が続いた。
現在ではインドの rage 歌唱及びピアノ独奏でも実演と教育を行っている。
◯音楽の書法と技法
ライリー初期の試みにはカールハインツ・シュトックハウゼンの影響がある。
しかし、ラ・モンテ・ヤングと会って以降、音楽の方向性を変えた。
1955年から1956年にかけて、ライリーはヤングの Theater of Eternal Music に加わった。
ライリーはヤングを「これまで会った中で最もフリークな奴」といっている。
ヤングの発想こそが、ミニマリズムの心臓部であると言うのだ。
だが、ミニマリズムにおけるライリーの影響力を挙げる音楽家も多い。
この新しいスタイルを初めて用いたのは1960年の弦楽四重奏曲においてであった。
そのすぐ後に作曲された弦楽三重奏曲では短いフレーズを繰り返す技法を初めて彼は会得した。
それがミニマリズムのスタイルとなったのである。
通常、彼の音楽は長さの異なるモードのセリーを用いた即興演奏に基づいている。
Iそれは、n C、Keyboard Studies で見られる。
In C (1964) は最も知られた曲で、ミニマル音楽を一気に有名にした。
最初の演奏者としてはとりわけスティーヴ・ライヒ、ジョン・ギブソン、Pauline Oliveros、
Morton Subotnickが挙げられる。
他にも演奏家に(ex.ジョン・クーリッジ・アダムズ、フィリップ・グラス)影響を与え続けている。
それはまさに発明というべきであった。
曲は53個の独立したモジュールからなり、それぞれのモジュールはほぼ1拍の長さで、
おのおのが異なった音楽のパターンを有している(だがタイトル通り全てハ長調 in C である)。
演奏者の一人はピアノから一定したハ音の連続を繰り出し、テンポを維持する。
他の演奏者の人数と用いる楽器は任意で、いくつかのゆるやかなガイドラインに従って、
それらのモジュールを演奏する。
その結果、時とともに異なったモジュールが様々に連動しあって行くのである。
Keyboard Studiesも同様の構造を持つ独奏曲である。
極小の音楽要素を集めて複雑で稠密な全体像を造り上げるこの様式は、
凝り固まりつつあった西洋クラシック音楽のアカデミズムから離れる運動をもたらした。
20世紀半ばの音楽界は、新ウィーン楽派の複雑な構築と新古典楽派によって埋め尽くされていた。
ミニマリズム運動はこのような形式主義を放棄した。
ライリーは更に一歩を進め、しばしば即興的要素を作曲に取り入れることで
緊密な構成を否定するようになった(独奏者としては即興演奏の経験は長かった)。
1968年の A Rainbow in Curved Air がこの種の技法を用いた最初期のものである。
この作品及び対になる Poppy Nogood and the Phantom Band (1969年に録音された)は
ライリーの徹夜コンサートの印象を伝えるものである(そこまで長くはできなかったが)。
インド音楽と独奏に集中するため一旦は作品の記録を止めてしまったライリーであったが、
クロノスSQとの仕事が彼を再び更に構成的な、記譜可能な音楽に向かわせた。
しかし即興的要素はクロノスSQのための作品でも重要な役割を果たしている。
常に音楽の最先端に居続けたライリーにとって、新しい物などなにもなかった。
1950年代には当時揺籃期にあったテープループ技法を用い、
それ以降もテープを用いた音楽効果を研究し続けた。スタジオでもライブでも。
微分音を用い、純正律の音楽も作曲した。
Rovaサクソホーン四重奏団、Pouline Oliveros、クロノスSQだけではなく、
Michael McClureとのコラボレーションも行った。
Michael McClureは脚本家で、作曲のライリーと共にアルバムを制作した。
A Rainbow In Curved Air はロックバンド・ザ・フーのギタリスト・ピート・タウンゼントの
シンセサイザーパートに霊感を与え、 "Won't Get Fooled Again" と "Baba O'Riley" を生んだ。
後者はライリーと共に、Mehar Babaに捧げられている。
◯代表作
* A Rainbow in Curved Air
* The Harp of New Albion (1986), 純正律ピアノのための
* In C
* Shri Camel (1980)
コンピュータ制御のデジタルディレイで変調された純正律電子オルガン独奏のための
* Salome Dances for Peace
* Chanting the Light of Foresight, 純正律に合わせたRovaサクソホーン四重奏団による
* Persian Surgery Dervishes
* Sun Rings クロノスSQのための